zizoozの日記

時代との葛藤かもしれません。特別に何か殊勝なことを言いたいわけではなく、自分自身の実際の体験と若干の倫理的な思考、憤りや悔恨、葛藤を経て若い人に参考になることが記述できれば嬉しくもいます。工作、作為、捏造、虚偽ナシのライブでの葛藤から生まれた静観と倫理的なアティテュードを書けていれば半分満足かもしれません。友達大募集しています。逐一返信しますので遠慮なく意見ください。意見がほしいです。

父逝去について。大正昭和時代をもろ受けした自分の世代闘争

父の事実をお知らせします。

5月初頭に肺がんで死去しました。父の父は 満州事変、日中事変に招聘され、死なずに僻地東北へ帰換したようで、その後はイカ釣り漁船で生計を立てていたそうです。

殺すつもりはなくとも、赤紙で招聘されて最終的には「人を殺して帰国」しているわけですから、人格が狂っているのは想像に固くありません。

人は瀕死に際すると生殖能力が高まり、子作りをするようになるようですが、アメリカでも問題にななっている戦場帰国兵の精神問題は多分に抱えていたと思います。

それでかわかりませんが、兄弟はご多分にもれず7人兄弟となりました。

それがここ10年の間に次々死んでいきます。私の父も昨日死にました。死因はなにより、年代的に80程度となれぱ死ぬのが普通です。

そんな冷静な考えのもと、私は、医学も学んでいますが、その後、「なくなりました」「死にました」「絶命しました」という社会性の報告のたびごとにダウンして事あるごとにこっちだった疲弊しているなか、告げたり手続きを取らないとならない環境のなか、ダウン仕掛けていました。

人という存在は、
美徳を残し悪徳を消し去るように記憶をコントロールするようです。しかし、史実としてまぎれもなく悪徳があったことを妻であるあなたには再度お知らせします。

父は私が幼少期の頃から、ドメスティックバイオレンスをしていました。1970年代中頃でしょうか。日中平和有効条約、日ソ共同宣言、円ドル緩和など歴史的に奉られていた頃ですね。

勝手口から兄を放り出して「出ていけ」これは、明治の親父にとっては、息子に乗り移って普通かもしれません。いらないもの穀潰し、言うことを聞けない人間は抹殺の世代です。
小皿が足りないという父に対して「そんなにいらないでしょう」という母。食卓には二十枚程度の小皿が並べられていました。その一つ一つは用途が違うようでしたが、、、、それが整えなかった母は、後、髪の毛をひっぱられ畳を這いつくばっています。私は別部屋でそれを見ていて泣いています。
何か引っかかったのでしょうか、兄を竹の棒を使い頭部を殴打しています。どうも自分が少ない中学生在籍日数時代に彫刻を施した作品のようです。それはウサギの彫刻が施されていました。母はも止めに入るもなすすべなし。そのまま同様に殴打されていました。何するのよーという悲鳴が脳裏にたぎります。たんこぶどころではなくおいわさんでした。
あるときは、嫌なことが募ったのでしょうか、いろいろな皿を窓からぶん投げて割っていました。母はヤメテーと叫んでいました。
大学入学後でしょうか。行きたくない東北沿岸地域に帰省にしたのにもかかわらず、母は髪の毛を引っ張られて引きづられていました。痛いじゃないのーという母の悲鳴が脳裏によぎります。私は黙って二階に上がっていました。

ある時ラジカセを分解しました。直りませんでした。怒鳴られました。進むベクトルは摘まれました。

学校に行くのであれば100点でなければならない。90点取れたのは良いが、なぜ後10点点取れなかったのだという問答をされました。
明日学校でテストがあります。定時に帰宅し酒を飲んでいる父に「挨拶」が適当であったと呼び止められ、明日はテストなのにもかかわらず「一時間半説教」をされました。
予備校に行かせていただきました。そこでシステム障害かなにかで出席が「欠席1日」になっていました。「なぜ欠席したのか」と詰問されました。
私にとって父はアリストテレスの問答法の一つなのか深刻に悩みました。
おばさん(盛岡)には、いつも「ZIZOOZは太陽のように明るい子」と言われていました。多分暗闇を知っているからでしょう。


という具合、
ご存知の通り、私は、スピリチュアルに寄る傾向もありますが、その前にメンタルダメージをかなり受けている存在です。医療を学びその疾患に該当する病名はコレカナと自分で思いますが、そのような「偏った存在」であることを前提に今後ともに生活するかしないのか決めて下さい。
私はドメスティックバイオレンスをしていた父を悪い見本としてしか考えていませんので、暴力は反対の立場です。

東北沿岸の県は嫌いです。
兄をなくした場所
自分が未来を描いた場所なのにもかかわらず、実現の後押しが何もなかった場所。

放置と放任。腐るものは腐るから仕方ない放置しよう。の世界。

 

高校に行けなかった とは父の遺言ですが、

行こうと思えば行けたはずなのです。

国家公務は「学歴なくても務められる人間の集合」なので、学歴がないものは最下層であることは体感しているわけですから、それを自分の才能とくらべて上位に行けるならば目指すべきです。

私にとっては、医療副次資格ではなく、「医師」になるべきだったと深慮しています。

人間という存在は望みが叶わないならば、より一層、叶うように祈るべき存在なのでしょう。