zizoozの日記

時代との葛藤かもしれません。特別に何か殊勝なことを言いたいわけではなく、自分自身の実際の体験と若干の倫理的な思考、憤りや悔恨、葛藤を経て若い人に参考になることが記述できれば嬉しくもいます。工作、作為、捏造、虚偽ナシのライブでの葛藤から生まれた静観と倫理的なアティテュードを書けていれば半分満足かもしれません。友達大募集しています。逐一返信しますので遠慮なく意見ください。意見がほしいです。

はてなブログの方々はじめまして。私の自己紹介です。ちょっとヘビーかも。

こんにちは。身体建築士です。


今日は良い日です。吉方位日。私は五黄土星なので東と北西でした。無理くり休みを取り成田山新勝寺へ朝九時のお護摩ご祈祷に参加しました。

源頼朝も参列した成田山新勝寺。そう思いながら参加しているとすごい時間の圧倒的な風力を感じます。私は日本人なのだなと。歴史の教科書で知った人ですがここにいたのかと思うと感慨深い程度ではない気持ちで過ごしました。
www.naritasan.or.jp

帰りですね、成田線に乗っている時に前も思った事、思い返しました。きっと「あなたは書いて人に知らしめなさい」ということなんだと思い、ここに書き残そうと思ったのです。つまり私の素性です。

両親も両親である努力をしている。
上司も上司たる努力をしている。
医師も医師である努力をしている。
妻は妻である努力を、
先生は先生である努力をしている。

その努力のあつまりが社会

私と言えば、息子は息子である努力をしている。。。今までして来た。言われたらそれに従い、意見を言うと怒られる。言われたことだけやっておけば良いんだと指示を待てという父の言葉を守ってきました。

父の言葉などからは直接聞かなかったですが、親類等から代弁されて聞いたのでしょう。
車に乗るな。バイクに乗るな。不遜をするな。人に迷惑をかけるな。自分の食い扶持を自分で稼げなどなど。

何が根底にあるのか。鑑みると、

お前は死ぬな。死ぬようなことはしないでくれ。

この理由は私には同じ年の兄がいたのですが、死んだからです。詳しくは後ろに書いてありますが、先に倫理的な話が来ていますので面倒でしたら読み飛ばしてください。重いですから。どなたも聞きたくないか聞いても言葉に窮する様子なので。

死。この影響は凄まじく、海外旅行だけでなく、海外に行く仕事、トラックや車に乗る仕事、厄介に関わる仕事はするな。
公務員になれと暗に言っていたのです(父は特別国家公務員です。厳し目系ですね。警察や消防、自衛隊などです)
銀行員の父を持つとこれも厳しい制限を課されると聞いたことがありますが、自身の経験からそう、跡継ぎをも望んでいたのでしょう。
(私はそれには従わず コメディカル-稼げないマッサージ師に結局落ち着いたのですが)

父のルールはモーセの十戎?いや、儒教の教えが常々意識されて発言、行動を伴いながら一つ一つ確認して生きなければならないようでした。

honcierge.jp
儒教の教え「五常」をわかりやすく解説

儒教の教えに「五常」と「五倫」というものがあります。人は、「仁・義・礼・智・信」からなる「五常」の徳目を守ることで、「五倫」と呼ばれる「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するよう努めなければならないという内容で、東アジアにおける倫理観の基本になっている考え方です。

では「五常」の教えを具体的に紹介していきましょう。

まず「仁」は、人を愛し、思いやることをいいます。孔子は「五常」のなかでも最高の徳目としていました。

「義」は、利や欲にとらわれず、世のため人のために行動することをいいます。日本の武将、上杉謙信が「義の武将」と呼ばれていることも有名です。

「礼」は、謙遜し、相手に敬意を払って接することをいいます。「仁」を具体的な行動にしたもので、後に人と関わるうえで守るべきことを意味するようになりました。

「智」は、偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断することをいいます。

「信」は、人を欺かず、また人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、嘘をつかず、誠実であることをいいます。

これら5つの教えを守れば、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友などの人間関係がうまくいく、という考えです。

一方モーセ十戒は、wikiによると

ja.wikipedia.org
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92

主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
隣人について偽証してはいけないこと
隣人の財産をむさぼってはいけないこと


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中学や高等学校の倫理の時間に学んだわけです。私は倫理・社会という今はないかもしれませんその科目がとても好きで、いろいろな人の考えを知ることができるから、よく読んでおり大学受験も倫理・政経で社会科は受けました。今でこそ儒教の教えとでもいう縛りに30年も縛られていたのかと思うようになりました。

家には神棚はなく、仏壇もありませんでした。新年に初詣でも行かない、夏越の祓えもしない。いつなんどき呼び出されても出動できる体制でいないとならないためその余裕はなかったのかもしれません。季節の歳時記でお盆やお彼岸も知りませんでした。教科書ではこの具体的なことは描いておらず、実際生活では行事がないため、淡々と一日が過ぎていくような感覚にありましたが逆に、一つの目標に向かい猪突猛進していく環境だったと思います。母はよく殴られておりました。傍目に見て止めるに自分も殴られる恐れがあり何もできずに見ていた記憶があります。これは父の印象を強く裏打ちするものでした。
父が言っていたことに「学校で学んだ事は全部知っているいるはずだ」「学校ではそんなことも教えないのか」「勉強したことを知らないとはなんだ」です。
つまり点数では「学校で学んだことは100点が当然」
私はこの環境からの脱出と自分の自由のために高校卒業後に予備校に通いました。そこそこ良い成績で母からは「やるねー」とわざわざはがきをもらうのに、父は「一日欠席があるが、どうしたんだ。サボったのか」です(これは出席カードを通し忘れたわけですが)。ですから、褒められたことはありません。記憶に殆ど無いのです。自分で決めたことは100%こなすのが当然である、というとてつもない倫理が子供に要求されていたのです。全部出席、高得点、優秀、なぜなら「自分で決めたから」。
論理としては崇高でしょう。実際私は出来損ないでしょう。東京大学に受からないならば。
私には同じ年の兄がいましたが、こういう倫理に答えられず、猪突猛進で父に猛反発してはぶんなぐられ、家から出され、高校は辞めさせられ、家にいないで働けと東京に出されて仕事につきましたが、帰省した際に事故で亡くなってしまいました。だれがここに留まれといったのかわかりませんが地元で自宅からすぐの場所でした。バイクだったので、私もオフロードバイクに乗ろうと強く思っていた夢は無碍になり理想の風来坊となってしまいました。私と言えば視力を落としてまで努力して予備校もない僻地で高校の先生も当てにならないからと模索模索の勉強方法を繰り広げ、抜毛症になってまでテストの点数を上げることだけ氣にしていました。それしか生活の目的がなかったからです。高校は勉強をするところだ、勉強しないでこんな低い点数はなんなんだと言われるからなのは当然でした。

同じ年の兄。ちょうど大学へ入学が決まった直後に事故が起こったので、毛髪が怒髪天のようになったのを覚えています。
全身の血管が閉じているのか妙な寒気を感じ、頭には血の気が登り、話すこと動くこと自分ではないような感覚でその後30年自分以外の自分に突き動かされているかのような感覚でした。この出来事は自分自身の方向性を大きく変えるきっかけになりました。好んでではありません。自分の方向性を捨てて進む方向が勝手に敷かれたかのごとくです。
自分の理想は「海外へ行き来するビジネスマン」でしたので、貿易会社や外交官、商社など海外を飛び回る仕事をすることでした(時代が海外志向だったのですバブル期でした)が、それとは反して国内のしかも僻地へ意識がフォーカスされざるを得なかったのです。自分のあり方を知り、できることならばあの海外を目指す自分を取り戻したい、どうしたらよいのか、何をしたら良いのか。同級生はチャラチャラした世代です。誰もそんなことを考えません。華やかな大学時代は他人と乖離した個の世界へ没頭さぜるをえなかったのです。

彼女がほしい、旅行がしたい、アジア旅行したい、留学だと今もその世代の方は夢を持っていると思います。
夢は絶対追いかけてほしいと思います。

哲学、精神医学、スピリチュアル系統、護符、真言など様々知りました。乖離した自分を自分に戻したい一心。
「兄弟はいるのか」
という質問は苦行の最たるものでした。
御愁傷様です。
という返答にますます乖離を感じ、個にこもることとなりました。今で言うとオタクや引きこもりでしょう。人と関わることが苦痛で苦痛でしようがありません。
私は自分で言うのも憚れますが、外見が人受けするようで女性からはいろいろと話をされてきましたが、これも「理解できない人が来た・・・」と関わりを拒んできました。女性には「お高い人でクソ野郎」と多く思われたと思います。私は関わりたくなかったのです。

ここまでにしておきましょう。
私の父は今年80歳になります。田舎は僻地で、小学生時代からイカ釣りをして学校など行かずに仕事をしなければならない生活で中卒です。
他県の農家も同じだったでしょう。いなかっぺ大将という漫画の世界がぴったりかもしれません。

はじめてご覧になった方々、始めまして。
このような背景バックグラウンドを持っているzizoozを今後共よろしくお願いします。
身体建築士と名乗っています。

今日も一日お疲れ様でした(=^・^=)
明日も良い一日になりますように。







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