zizoozの日記

時代との葛藤かもしれません。特別に何か殊勝なことを言いたいわけではなく、自分自身の実際の体験と若干の倫理的な思考、憤りや悔恨、葛藤を経て若い人に参考になることが記述できれば嬉しくもいます。工作、作為、捏造、虚偽ナシのライブでの葛藤から生まれた静観と倫理的なアティテュードを書けていれば半分満足かもしれません。友達大募集しています。逐一返信しますので遠慮なく意見ください。意見がほしいです。

介護仕事の実例をひとつ・・おすすめ理由もあります。

こんばんは。身体建築士です。

年末ですね、忙しいですね、慌しいですね。

は人によりけり、家族が多ければ、学校が休みならば、年末休暇のために仕事を前倒ししないと、風邪が多いと病院検査は忙しく、看護師医師も忙しく致し方ないところです。

仕事終わったら夜行で帰郷・・・・又は最終便で帰宅して朝一番始発で帰郷・・・・昨年私はそんな感じでした。それが数回続き、体調を崩したので、一つ仕事をやめたんですね。

掛け持ちをしていたのですが、その辞めた仕事は週に1日、しかし、8時間勤務中6時間は立って走って体操して運動指導して、次から次から関わる人がかわり、1日45人一人で全員見ていましたょ。認知症の方へも指導しましたし、要介護5の方もしますし、ええ介護予防体操も指導していまして、8時半から11時45分までぶっ通し、午後は13時15分から16時30分までぶっ通し。残念ですが、生活の一部をここで賄っていたので、生活サイクルも変えにくいし、とにかく続けていくしかなく、こちらの過労を終えてから「根性」でBCAA、自作弁当鶏肉多めで食事を取ってから10時過ぎまで黄金ジムに行っていました。私がブラックですよね。

それを7年くらい続けまして・・・・よくやりました。ついに「終焉」のときが来ました。

足が痛くて腰が痛くて、動くといつもの2倍疲れたような感じになり、いつものように行かなくなってきました。当然疲労度は上がり、次の日はぐったりして起きられません。

そこで、時間を短時間にしてもらいながら(担当人数は変わりません。代わりがいないからです)黄金ジムも行きながら、段々と有給はないので欠勤で休むようになりました。。。

手取りは減っていきますが、なんとか身体は少し保っていられました。そういう時はダメ押しというものというのか、ところてんを一気に押し出すような出来事がありまして、「気力体力沸かず」体力の限界で引退します!と故横綱千代の富士の名台詞に乗っかり、現役を1つ引退しました。

介護仕事はご存知の通り、肉体労働です。1時間に50個の処理を出来る方が、同時間で100個処理できるならば給与は上げて欲しいと言えるでしょうが、この業界では手際よく出来るならば、役職が上がる、その代償として少し給与が上がるということになりますか。日々の処理と言っていいでしょう、対応は処理的なものですから、それをするようにどんどんと詰め込まれてきます。疲労なんて関係なし。時間単位で割当人数が増えていきます。

一時間に15人が20人に25人にという具合。

ですから、いくら1日100人のオムツを手際よく交換が出来たとしても、あまり変わらないということです。件の引退した現場は、コストの話題がよく出ていて、人が一人辞めたら損失が減りましたと喜ぶようなところでした。どんどん人を辞めさせて?非常勤職員はほとんどいなくなってしまいました。正職員さんはがっちりすっぽんのように噛み付いて離しませんよね。しかしやめた分の割当が増えていくので「ヘルニアです」「具合が悪いです」と欠勤もあったり、どっちもにっちもさっちもでした。ただ、私も人に喜ばれる事をすることが出来てよかったですw

介護の仕事を毛嫌いする人多いかもしれません。まず給与が安い、昔言葉で言えば3K仕事・・・しかし、人と話すのが困難だとか、苦手だという方は、人生の大座布団に座っている高齢者に話しかけることをどこかの機会で持ってみたらいいと思います。若い女性と話をすると汗が吹き出てまともに話せない、とにかく一人でいる事が多く独り言が1日を締めている、なんて方はその飽和力に飲まれる事でしょう。核家族が進んでいるとはいえど、もちろんひとり暮らしのご老人もいたり、年末年始にはスーパーのおせち料理ではなく、自分もニシメを作ったりするという自宅で自作のおせちを食べる家庭の話も聞けます。そこら辺は自由です。なんの話をしても自由。お金の稼ぎ方を聞いてもいいでしょうねw。

介護施設へ来ているご老人の衣食住の世話をするのが仕事」ですから、その他は余り関係がないと言ってもいいでしょうね。知恵がいつも聞けます。

お金だけが全てではない、というところは「たしかにあります」ただし、給与はやはり安くきついのは事実です。

おばあちゃんに買ってもらったマンションに住んでいるリッチな孫のそのおばあさま淑女もいますよ。本人は認知症になってしまってよくわからないですが、名義は認知症であったとしてもその方です。死んでもらっては困るという家族内部が覗き見られます(推測するだけですよ。どこにもそんなことかいていませんからw)。旦那がなくなり自分名義になった土地にビルを立てて、その一つを孫娘にあげる、なんていうことですね。

土地の開拓がこの昭和から平成までかなりありました。今は売る土地は都内にはないでしょうか。五反田なんて名前の通り田んぼでしたし、赤坂なんてすすきが生えていた。浦安なんてノリの養殖をしていたとかですね、、業態の変換があったからですが、どんどん進み、土地成金の方は確かに大勢いると思います。それを知るのもまた人生・・・・

今日も一日お疲れ様でした(=^・^=)

あしたも良い一日なりますように。